米国航空宇宙局(NASA)マーシャル飛行センターはアラバマ州ハンツビル(Huntsville, Alabama)にある 1,800 エーカーの広さを持つ陸軍の Redstone Arsenal eの中にあります。センターには約 3,300 人の民間人が働いており、その割合は科学者ならびに技術者が 58% 、企業関係者が 16% 、そしてその他事務関係者ならびに専門職員からなっています。マーシャル飛行センターが管轄しているのはハンツビルのセンター本体の他にニューオリンズにある Michoud Assembly( 外部燃料タンクの製作を行っている )、Slidell Computer Complex( Michoud へ computer サービスを行っている)です。過去には、マーシャル飛行センターはロケットの開発センターとして知られていましたが、それ以外にも重要なつとめを持っていました。今日では、マーシャル飛行センターは多くのプロジェクトを推進するとともに、科学的研究、地球に関連する問題の解決に関して宇宙技術を応用することによって、多くの科学的、技術的成果上げています。このことが、マーシャル飛行センター対して新しいイメージを創出し、将来のプロジェクトへ大きな影響を与え ています。
マーシャル飛行センターは 1960 年 7 月 1 日に U.S. Army Ballistic Missile Agency の一部建物と人員を NASA に移行する形で発足しました。マーシャル飛行センターという名前は時の大統領 Dwight D. Eisenhower が、1960 年 9 月 8 日に、高名な陸軍の将軍であるGeorge C. Marshall (マーシャルプランで有名)の名前を冠して名付けました。初代所長はドイツで V-2 ロケットを開発した有名なロケット技術者 Dr. Wernher von Braun でした。von Braun は 1960-1970 の間、所長を勉めました。その後、1970-1973 Dr. Eberhard Rees, 1973年1月-1974年6月 Dr. Rocco A. Petrone 1974年6月-1986年6月 Dr. William R. Lucas そして、それ以降は Mr. James R.Thompson Jr. が勉めています。
マーシャル飛行センターではセンターの発足から 1969 年まで、サターン型の大型ロケット開発に従事してきました。サターン型ロケットの中で最も大きなサターン V 型ロケットが 1969 年 7 月 20 日の歴史的な月への人類着陸に使用されました。6 基のサターン V 型ロケットが、その後の有人月探検プログラム、アポロプログラムに使用されました。マーシャル飛行センターで開発された月面探検車は二人の宇宙飛行士を着陸地点から数マイル離れた地点まで運び、最後の3回のアポロ月探査を成功させました。
人類最初の宇宙ステーションである Skylab 計画の成功にもマーシャル飛行センターは重要な役割を果たしました。Skylab では3人の飛行士が地球軌道上で 84 日にもおよぶ間生活を行い、100 以上にもおよぶさまざまな実験を行いました。マーシャル飛行センターは 4 基のサターンロケットをこの計画のために提供すると同時に Skylab の主要なハードウェアを担当しました。また、 Skylab での多くの実験についてその遂行の任にあたりました。
アポロ-ソユーズ試験プロジェクトはソユーズとアメリカのアポロ宇宙船が2日間軌道上でドッキング飛行を行う国際共同宇宙実験でした。マーシャル飛行センターはこの実験にアポロ宇宙船を打ち上げるためにサターン 1B ロケットを用意するとともにいくつかの実験の遂行を行い、当初からこの実験の計画に係わってきました。
1970 年代後半から 80 年代前半の数年に渡って、High Energy Astronomy Observatories で知られている有名な軌道観測機器シリーズの管理を行いました。3基の X-線 や宇宙線のような宇宙の高エネルギー放射線を観測するためにデザインされた HEAO 衛星すべてについて、科学者に重要なデータを数年間に渡って提供しました。そして、これらの High EnergyAstronomy Observatories は大変大きな成功を収めました。
(1993年)